1999年9月号  目 次:1999年1月〜12月)

定例研究会報告

15回ナショナルモデル研究会の報告は、以下の通りでした。
報告テーマ:「ISDC99 ニュージーランド大会の報告」
報 告 者:亀山三郎(中央大学)、高橋裕(専修大学)、
          田辺章(アイテル技術サービス株式会社)、末武透(朝日監査法人)
日   時:1999年8月21日(土) 13:30〜17:00
出席者数  : 16
発表概要:ISDC99 ニュージーランド大会の報告」
1.国際SD学会ニュージーランド国際会議の印象
(末武)今年度(第17回)の国際SD学会の国際会議は、"Systems Thinking for the Next millennium" というテーマで、1999年7月20日(火)より23日(金)まで、ニュージーランドのウェリントンで開催された。非常に盛況で300名以上の参加者があった。アブストラクトの提出者は277人で、日本から8人のオーサーの参加があった。今回の盛況の原因の一因には、オーストリア・ニュージーランド・システム学会との共催にもあり、豪州、ニュージーランドからの参加者が大変多かった。
 初日の火曜日は、Coyleの「定性モデルとSD、あるいは、定量化への賢い限界を探る」というキーノート・アドレスで開始した。これについては、後ほど詳しく紹介する。続いて、Flood"No More Problems, Solutions, or Normal Organizational Life"という、キーノート・アドレスがあり、10月出版予定の彼の著作の"Rethinking of Fifth Discipline"が会場での限定で、事前発売されていた。Floodについては、亀山先生の方から後で紹介する。
 午後のパラレル・セッションでは、私は、Innovation, Quality & PerformanceMacro Economicsのセッションを聞いた。Innovation, Quality & Performanceでは、"Towards a Dynamic Feedback Framework for Public Sector Performance Management"の発表の中で、近年はやりのバランス・スコアー・カードを静的な評価尺度であると批判し、動的な評価尺度としてのSDを提唱していた点が印象に残っている。
 夕方にレセプションがあり、ニュージーランド国立博物館で、マウリ式の歓迎式典を受けた。マウリの挨拶は、鼻と鼻をこすり合わせるというユニークなものであった。その後、博物館の2階で、ワインを堪能した。マウリはニュージーランドの先住民で、このニュージーランド国立博物館では、マウリ文化が理解できる品々が展示されている。
 2日目の水曜日は、この国際会議の目玉とも言うべき、Checkland"Soft Systems Methodology: a 30 year retrospective"というキーノート・アドレスがあり、1990年に発表した"Soft Systems Methodology in Action"以降のさらなる改良点が紹介された。続くプレナリーでSalner女史の"Beyond Checkland & Scholes: Improving SSM"という挑戦的な発表があったが、主な要点は、ChecklandSSMにはメンタル(human system interventionethicalの両方)な部分の取り扱いとvalidationの部分が欠落しているという批判であった。
 続いてフォレスター賞の発表で、今回はGroup Model Buildingの研究によりVennixが受賞した。Vennixの研究については、次回の例会で紹介したい。
 午後のパラレル・セッションでは、私はMacro Economics & Public PolicyPhilosophical Issuesに参加した。Macro Economics & Public Policyでは、韓国の、Kimによる"Systems Thinking in the Management of Korean Economic Crisis"の発表の中で、金大中大統領が、非デモクラシー性や官民癒着を批判して、不正是正を強化することで、一見全く関係がないように見える経済崩壊を食い止め、回復させた研究が印象に残っている。政治家にはフィードバックの思想がないように見えるが、分析をした結果、官民癒着の是正が、市場投資の透明性を産み、外国資本家が投資を安心してできる土台を形成することになり、こういった外国投資の導入が経済を好調させるという、経済的なフィードバックに結びついていく様子を紹介していた。
 Philosophical Issuesでは、香港のLang"A Taoist Founding of System Modeling and Thinking"という、老子思想をSDに結びつけるという試みが紹介されたが、老子思想に含まれるブール代数的な2値理論と、カオス的包含性の区別や整理が不十分で、SDへの結びつきもよく分からない内容の発表だった。カルナップの量子力学と哲学の関係のような面白い研究を期待していたのだが、SDの過去からの研究を包含して、哲学的にまとめようという主旨でもなく、SDで哲学を取り込むののはまだ無理があるのではないかと感じた。アルゼンチンのRego"After 40 years, has System Dynamics Changed?"という発表もあって、主張がよく分からないので、発表後著者と話していろいろ聞いたら、SDはまだ限界があり、本当の世界はもっと複雑なのだが、それをうまく表現するにはもっと、複雑系の取り扱いや自己組織化ができるようなものに発展していかなければならないという主旨とのことであった。
 水曜日の夕方には、今年で創立100周年を迎えるVictoria大学のレセプションで、国会議事堂のレセプション用の食堂で、ワインとラムのディナーの招待があった。国会議事堂で食事に招かれるのは初めてで、びっくりした。
 木曜日はオーストラリア・ニュージーランド・システム学会組とSD組が分かれてプレナリーを持った、SD組では「検証」をテーマに議論された。午後のパラレル・セッションでは、Sustainable Developmentを聞いた。SDはこういった環境問題や環境問題を含む経済開発の問題に非常に適しているという印象を受けた。このセッションでの発表は質が良く、きわめて明快に分析ができている。例えば、トルコのGuneralp氏というYaman Barlasの弟子の発表である、"Modelling of Wetland for Sustainable Development"では、湿地帯の生態系を維持しながら、潅漑で水の利権が対立するトマト栽培農家といった住民とどう折り合っていくかといった問題をうまく分析していてSDはまさにこういった問題にぴったりだなあという感想を持った。
 夕方は、ニュージーランドのコンサルタントのレセプションで、100%ニュージーランド製というワイン、ビールとチーズを楽しんで、その後、亀山先生の呼びかけで、日本人参加者全員と一緒に、内野先生が見つけた、海上に浮かぶすてきなレストランでディナーを楽しんだ。こんな酒と薔薇の生活をやっていて、おかげで会期中に5キロも体重が増えてしまった。
 金曜日もやはりオーストラリア・ニュージーランド・システム学会組とSD組が分かれてプレナリーが行われた。SD組では、Group Model Buildingの話しが行われた。その後SD教育のプレナリーがあり、締めのプレナリーは、マウリ音楽と踊り付きのマウリ文化の話しであった。午後はビジネスミーティングで、2時頃に終了した。
 私は、飛行機の関係で、日曜日の午後にウェリントンに着いた。当日は雨で、寒く、しかもまだ午後3時だというのに、町の通りには人影もなく、ゴーストタウンに来たかと思った。月曜日になって、やっと通りに人が歩いているのを見た。人口が少なく季節が冬であるせいからだと思うが、店は夕方6時にはさっさと締めてしまい、人通りも極端に少なくなってしまう。月曜日と土曜日に町を探索した。古本屋と古家具屋がやたら目について、古家具屋には、必ず放出品の古本のコーナーがあり、ニュージーランド人がどんなものを読んでいるのかが伺われて面白かった。垣間見ただけだが、日曜日には小型のクルージングを楽しんだりと優雅な生活を送る一方、パブでコーヒーとサンドインチだけでねばっておしゃべりを楽しんだりと、非常に質実なニュージーランド人の暮らしを見た思いがした。
(田辺)ニュージーランドでの国際学会の様子を撮影したビデオを紹介。
 国際会議最後のニュージーランドとマオリの2重文化とSDの話は、マオリ語のアロハは愛という意味であるといった言葉の説明や、歌と踊りが入った長いもので、印象に残った。
(高橋)火曜日のCompetition & Business Cycleのセッションで、"System Dynamics Analysis of Network Externality in Complex Market Structures, Part II: Basic Strategy for Re-entry and New Product Distribution"という発表を行った。ゲーム機の拡散過程について、市場に構造が及ぼす力を分析するという研究を続けている。昨年のケベック大会の続編の研究で、今回は、キラー・ソフトを発売した場合の出荷台数の増加と増加割合の及ぼす影響を感度分析を中心に発表した。
 このセッションは別の人がチェアをやるはずだったが、欠席し、リチャードソンがピンチヒッターでチェアを行ってくれた。期せずして大物の司会となった。
(亀山)いつもであれば、米国からStermanEberleineといった先生方が参加するのだが、今回はMITの先生方はほとんど参加していなく、代わりにCheckland, Floodといった英国の著名な先生方が参加した。こういった点からも、ニュージーランドは英国圏であるということをつくづく感じた。 

2.コイルの「定性モデルとSD」の紹介
 定量化モデルを構築して、定量的な分析をするというのが、SDのトラディショナルな教えであって、Forrester始め、みんなこのことを強調している。しかし、1980年代には定量化を含まない、全く純粋な定性モデルが出現し、「場合によっては、定量化の中に不確定性が含まれ、アウトプットが間違った結論や方策を導きかねないことある」ことを指摘している。
 定量化に際し、例えば、「ソフト」な変数である、顧客の製品のイメージに対する満足度、品質に関する満足度、価格に関する満足度のような3つの変数が、乗数関係で決まるとする。それぞれが、0から1までの値を取るとして、顧客がイメージにも、価格にも、品質にも、まあまあという中間の評価を下した場合、定性モデルで考えれば、全部まあまあなので、0から1までの値の中間値である0.5を取るはずだが、定量モデルで計算すると、「イメージの変数(0.5)×品質の変数(0.5)×価格の変数(0.5)=0.125」という4倍も違う値になってしまう。こういったことが、定量化モデルの中で起こりやすく、この結果、もっともらしいナンセンスさを生み出している。
 マヤ文明の消滅に関するモデルが開発され、シミュレーションされた。このモデルの中で、記念建造物の寿命や、食物供給と寿命との乗数関係等、こういったナンセンスさを産みだしかねない関係や「ソフト」な変数が含まれている。定量モデルでの計算結果では、マヤ文明は9世紀に崩壊するはずであるが、実際の消滅は10世紀で、100年も違っている。また、マヤの子孫は今でもグァテマラに何百人と生存している。
 西暦2000年問題の定性モデルを構築し、定性的な分析を行った結果、戦略的に重要なのは、システムの対応計画を策定することよりもむしろ、起きた場合に関係者を敵対化させないで、支援してくれるような関係を構築することの方が重要なことが分かった。この定性モデルから適切な定量モデルを構築することや、この結論を定量的に導き出すことが可能であろうか疑問であり、さらにもっと価値ある分析をできるかどうか疑問である。おそらく、下手に定量化してしまうと、ナンセンスな答えしか出ないような定量モデルしかできないのではないかと思う。
 麻薬撲滅の問題で取り上げたアンゴラのモデルは非常に複雑で、これを定量モデルにすることなど不可能であろう。これを単純化しても、やはり定量化は難しい。単純化すれば定量化モデルができるという関係でもなさそうである。
 ということで、定量化の限界のようなものがあり、その限界を考えないで定量化を行うことには危険性がある。この限界のようなもののルールがSD学会主導で研究されることを望む。

3. Robert FloodRethinking of the Fifth Disciplineの紹介
 Robert Floodが、センジのthe Fifth Disciplineに代表されるこれまでのsystems thinking批判の発表を行い、これについてワークショップで活発な討議も行われ、大変面白かったので紹介する。なお、Checklandが報告の中で、経験主義の父とされているフランシス・ベーコンについて触れていたのが印象的であった。ベーコンの思想では、対象となる自然に対する観察で、観察や実験結果を虚心に全部受け入れて、そこから、経験的に法則性を抽出し(帰納主義)、人類に役立てようとした。

 しかし、その後の科学はベーコンのこの方向性を取らず、フランスのデカルトを代表とする部分還元主義の方向に向かい、彼は近代科学の祖とされるようになった。ベーコンの後輩であるニュートンもデカルトの方向を選び、分析還元主義的な方向性を固めていった。今、部分の集合が全体を構成するというこのデカルト的な考えが否定されようとしているが、もう一度ベーコンに戻って、科学の方向性を出発点として考え直してみる必要があるのではないかというのが冒頭の印象であった。

 Robert FloodRethinking of the Fifth Disciplineで、センジのthe Fifth Disciplineを高く評価しつつも、システム思考は、BertalanffyBeerAckoffChecklandChurchimanSengeというように系譜付けることができ、BertalanffyBeerAckoffChecklandChurchiman達の思想の中で、センジのthe Fifth Disciplineで抜け落ちた部分、特にモデルのバウンダリー・ジャッジメントの部分をきちんと再検討してみるべきであると主張している。

 本当はあらゆることはHolisticなのだが、モデルを構築する都合上、境界を線引きして、モデルに含まれるものと含まれないものを区分してしまう。そこで、誰がその境界に含まれるのか?だれがその境界の外なのか?を厳しく問う必要がある。そのことで、このことの可能な結果が違ってくる可能性を考えてみなければならないし、われわれはそれについてどう思うかを考えてみる必要がある。しかし、こういったモデル検討は、EfficiencyEffectivenessだけの側面で評価すると、デカルト的な還元主義に陥ってしまう危険性がある。Churchimanが主張しているように、Ethicsの問題にまで立ち入って考える必要がある。

 さらに、社会制度の問題があり、メンタルな内面性の中で限定合理的に行動する人間のミクロなダイナミズムとマクロな社会のダイナミズムの中間に、社会制度(や慣習)が人々の行動を規制するもの(レベル変数)として存在している。このことを考慮しないで、ミクロなものをいきなりマクロの社会的なものに組み込んでモデル化することは問題があるように思う。
Floodは複雑性の理論の立場から、自発的自己組織(Spontaneous self-organization)を前提に、結局われわれは、ついに知ることのない状況の中で知ろうと努力し、管理できない状況の中で管理しようと努力しているというディレンマを指摘しながらも、なお、向上のためのシナリオを提出している。追記)

配布資料:

Abstracts by Country of Authors
ISDC99 Programme Summary with full abstracts
SDにおける定性モデルあるいは賢明な定量化とは何か?について
     システム思考の進展 - Beyond SSM, Rethinking the Fifth Discipline


編集後記
 東京では、やっと猛暑も去り、秋らしい気候になってきた今日この頃ですが、みなさまはいかがでしょうか。SDニュージーランド大会の報告の後のフリー・ディスカッションが盛り上がり、島田先生の首都圏モデル構築の経験から、長期的な予想を行う場合、長期的な視点からスタート時点を決めないと、スタートが少しずれただけで先の予想の値が大きく違ってくるという話しが非常に印象的でした。
 亀山先生と、JSD島田ライブラリーの状態を見るために816日に専修大学の小島先生の研究室を訪問しました。4月から専修大学に勤務している高橋さんと打ち合わせを行い、来年1月を目標に、蔵書目録を含む資料提供を行う予定でいます。
 内野先生は、9月より、ウェチェスター大学(Worcester Polytechnical Institutes:【次号で訂正】正しくは、ウスター大学)に留学することになりました。内野先生に米国SD便りをお願いしたいと考えています。 (末武記)